上級編 2. オプション評価法とArbitrage Pricing Theory

2.2 資産価格付けの基本定理
     Fundamental Theory of Asset Pricing (Arbitrage Pricing Theory)

2.2.2 資産価格付けの基本定理とは

2.2.2.1 定理の内容

ます、定理の内容を紹介します。基本定理として、2つの定理が示されています。 

  1. 証券市場がArbitrage Freeである事と、同値マルチンゲール測度の存在は同値である。
  2. 証券市場がArbitrage Freeであると仮定すると、その証券市場がCompleteである事と、オプション価格が一意に決まる事は同値である。

(日本語で解説された論文は、非常に少ないです(少なくともネットで公開されているものでは)。参考までに、 Wiki:資産価格付けの基本定理

この定理に初めて接する人には、何の事かさっぱり解らないと思います。デリバティブズの実務をある程度経験した人でも、なかなか理解は容易では無いでしょう。
 もう少し詳しく表現します。 

  1. ある証券市場で、どのような取引戦略を取ったとしても、リスクゼロで初期投資額0から正の利益を生み出すような裁定機会が存在しないなら、自然確率測度Pと同値で、証券の価格Sの割引価格S×Dの確率過程がマルチンゲールになるような確率測度Qが存在する。またその逆も真。
  2. 裁定機会が存在しない証券市場において、すべてのContingent Claim(オプション) の価格が、対象資産の証券のポジションの組合せで構築できる取引戦略でReplicate(満期Payoffと全く同じキャッシュフローを構築)できる為の必要十分条件は、そのContingent Claim の価格が、同値マルチンゲール測度を使った期待値として、一意に決まる事である。

 詳しく表現しても、全く状況は変わらないか、さらに???となるかも知れません。使われている概念が、極めて抽象的で、何の解説もなくこれを読んでも意味が判らないのは当然です。 

この定理を最初に詳しく証明し一般化した Harrison-KrepsHarrison-Pliska の論文は、抽象的な数学の概念を駆使しており、極めて難解です。彼ら以降の論文も同様です。実務で長くデリバティブズのトレーディングやリスク管理を経験した者でも、さっと読んだだけでは理解不能かと思います。実務の人間としては、実際の証券市場で起こっている現象と比較しながら理解したいのですが、そういった解説をしている文献も殆ど見当たりません。 

定理の記述と、証明の方法は極めて抽象的で解りにくいですが、この定理の存在意義は、オプションの価格を評価するにあたって、 

  • 将来のPayoffの期待値を計算するにあたっては、リスク中立測度を使えば良い(リスクプレミアムを考えなくてよい)
  • それを現在価値に換算する場合、リスクフリー金利を使って良い(客観的に一意に決まる)。

という点に集約されます。繰り返しになりますが、この考え方を使えば、どのようなオプションの価格であっても、難解な偏微分方程式を解くのではなく、期待値計算の方法を使ってシンプルに求める事ができます(考え方がシンプルなだけで、実際の導出過程は極めて難解な場合が多いですが)。すなわち、前のセクションで説明したオプション価格の評価法に、理論的根拠を与えてくれています。 

従って、極めて重要な理論なのできちんと理解したいのですが、どの文献を読んでも、非常に難解です。そこで、これを私なりに理解した範囲で、数学的な厳密性は無視し、市場で発生している現象に照らしあわせながら、実務家が直感で理解できそうな論理構成で、説明してみようと思います。
 

2.2.2.2 実務から見た解釈

私自身は、この定理を、次のような論理だてで理解しています。 

(i) 市場で取引されている証券は、非常に流動性が高く、ロングポジションもショートポジションもコストゼロで必要な額を、瞬時に構築できるとします。 

(ii) これらの証券の価格を、ランダムに動く確率変数と見做します。そうすると、それを対象資産とするContingent Claim(オプション) の価格も、同じ確率空間上を動く確率変数となります。 

(iii) そうすると、市場で取引されている証券を対象資産とするContingent Claim に対し、そのリスクを完全にヘッジ(Replicate)できる取引戦略を構築する事が出来ます。  

(iv) Contingent Claim の価格変動が、その対象資産を使った取引戦略で完全にヘッジできるので、ヘッジされたポジション全体はリスクがゼロになるはずです。リスクがゼロの投資は、市場参加者の裁定行動により、そのリターンがリスクフリー金利に収束していき、裁定機会は消滅します。これが、市場がArbitrage Free (裁定機会が無い)となった状態です。 

(v) そうすると、完全にヘッジされたポジションは、最終的に満期時の Payoff が実現するまで、リスクフリー金利での運用リターンをもたらします。その間、確率変動しません。 

(vi) Contingent Claimの価格と、ヘッジ戦略ポジションの価格は、合算すれば確率変動しないものの、それぞれ個別に見ると確率変動しています。しかし、正負の符号が完全に逆になっているので全体でみれば確率変動していないように見えるだけです。従って、合算した価格も、確率変数の和なので、それ自体が確率変数と見做せます。そうすると、確率測度を使って期待値計算を行う事が出来るはずです。その期待値は、Contingent Claimの期待値と、それを完全にヘッジする取引戦略の期待値の和として計算されます。 

(vii) しかし、その期待値計算を、市場で観測される自然な確率測度 P を使って行い、それをリスクフリー金利で現在価値に換算しても、Arbitrage Free までに収束した後の市場価格と一致しません。期待値計算において、リスクプレミアムを含んだリターンが返されるからです。 

(viii) そこで、同じ事象空間上で、別の確率測度を使って上記の期待値演算をすると、リスクフリー金利でのリターンと一致する、そのような確率測度が存在するはずです。幸い、そのような確率測度を解析的に導出する事が可能で、それを同値マルチンゲール測度、あるいはリスク中立測度と呼んでいます。 

(ix) その同値マルチンゲール測度を使って、Contingent Claim の満期Payoff関数の期待値を計算し、それを現在価値に換算すれば、そのContingent Claim の価格が求まり、それが裁定行動の結果収束した価格に一致します。リスクフリー金利が一意なので、その価格も一意で決まります。    

どうでしょう? 少しは、理解しやすくなったでしょうか?これは、Black-Scholesが、Black-Scholesの偏微分方程式を導出する過程で使った論法と、途中の(v)まで同じです。 すなわち、Contingent Claim(オプション)のリスクを完全にヘッジできる取引戦略があり、それを使ったヘッジ後のポジションはリスクフリー金利の運用リターンをもたらすという所までです。そこから、「期待値演算をするとリスクフリー金利のリターンと一致する、そのような確率測度が存在するはずである」という所が、Harrison-KrepsやHarrison-Pliskaによって一般化された部分です。 

それでもまだ、すんなり腹に落ちないとすれば、おそらく上の論理過程において、次の様な表現の所にひっかかるのではないでしょうか。 

・ まず、Contingent Claim(オプション)に対して、「そのリスクを完全にヘッジできる取引戦略を構築できる」 と言い切っている部分です。本当にそんな取引戦略などあるのでしょうか? 線形リスクしか持たない証券の現物のポジションであれば、フォワード取引を使って反対売買をしておけば、ヘッジできそうです。現物の証券を買い、それを先日付取引の売りのポジションでヘッジした場合、全体をみれば買い現先取引と同じで、レポ金利(≃リスクフリー金利)のリターンを生みます。しかし、オプションの様な非線形のリスクを持つ商品を、線形リスクを持つ対象資産の線形結合(=取引戦略)だけで完全にヘッジできるのでしょうか?  

・ もうひとつは、完全にヘッジされたポジションについて「期待値演算をすると、リスクフリー金利でのリターンと一致する、そのような確率測度が存在するはずという部分でしょう。もともとの定理でも、「同値マルチンゲール測度が存在する」という表現がされている部分です。確率空間\( (\Omega, {\scr F},P)\) において、自然な確率測度 P 以外に、別の確率測度が存在するという表現は、経済現象として何を意味するのでしょうか?  

前者の疑問が、当初の定理の2(第2基本定理と呼ばれています。)に対する疑問であり、後者の疑問が、当初の定理の1(第1基本定理)に対する疑問に対応するかと思います。これらの疑問に対し、私なりの解釈を説明してみます。 

2.2.2.3 「同値マルチンゲール測度が存在する 」とは?

まず後者の疑問の方から。 

市場で観測されるのは自然な確率測度だけです。それに対して、「同値なマルチンゲール測度が存在する」という表現について、どの文献を読んでも、数学的に「存在する(exist)」と述べてそれを証明しているだけです。同じことを「確率測度が変換できる」とも表現されています。その場合、実際の事象空間は全く同じで、将来起こり得る事象の集合が変わる訳ではありません。また、裁定取引によって、それらの事象の発生確率が実際にシフトすると言っている訳でもありません。起こり得る事象の集合と、それぞれの事象の発生確率は、あくまでも元の自然確率のままです。投資家の裁定行動により、それらが動くと言っている訳ではありません。 

私自身は、「同値マルチンゲール測度が存在する 」とは、次の様な事を意味していると理解しています。 

(i) 完全にヘッジされたポジションの価格過程は確率変動せず、リスクフリー金利のリターンをもたらすのであれば、次の様に表現できます。 \[ OptionValue(t) + HedgeValue(t) = TotalValue(t) = TotalValue(0)\times e^{rt} \]   (ここではリスクフリー金利は期間に関係無く定数 r と仮定しています)  

(ii) 一方で、\(OptionValue(t)\) も\(HedgeValue(t)\) も確率変数なので、\(TotalValue(t)\) は期待値計算でも求まるはずです。すなわち \[ TotalValue(t)=E^Q \left[ OptionValue(t)+HedgeValue(t)\ |\ TotalValue(0)\ \right] \] 

(iii) そして完全にヘッジされたポジションでは、上の2つの式の右辺が一致するはずです。 \[ TotalValue(0)\times e^{rt}=E^Q \left[ OptionValue(t)+HedgeValue(t)\ |\ TotalValue(0)\ \right] \] 

(iv) しかし、この右辺の期待値計算を、自然に観測される確率測度 P を使って計算しても、左辺と一致しません。自然な確率測度Pでは、ドリフトにリスクプレミアムが乗っているからです。 

(v) そこで、期待値計算によって両辺が一致するような確率測度 Q があるはずだと考えます。Q は、P と同じ事象空間に対応する確率測度で、ある事象 A について\(P(A)=0\) となるなら、\(Q(A)=0\) となるような確率測度で、いわゆる同値な確率測度です。連続な確率空間であれば、期待値演算は、確率変数を被積分関数とし、確率測度での積分で表現できます。 \[ TotalValue(0)×e^{rt}=\int [OptionValue(t)+HedgeValue(t)]dQ \] 

(vi) 左辺の\(e^{rT}\) を右辺に移し、右辺の積分を期待値演算子に置き換えて表現すると \[ TotalValue(0)=e^{-rT} E^Q [TotalValue(t)\ |\ TotalValue(0)] \]となります。 

この式は、t 時における完全にヘッジされたポジション (\(TotalValue(t)\)) にDiscount Factor(\(e^{-rT}\)) を掛けた期待値が、Q 測度のもとで、マルチンゲールである事を意味しています。そして、この等式が成立するような確率測度 Q を同値マルチンゲール測度と呼んでいます。要は、全く確率変動しないヘッジ後のポジションの価格は、リスクフリー金利によるリターンをもたらします。それを無理やり、期待値演算子をからませて計算した時に、等式が成立するような確率測度 Q が存在すると言っている訳です。 

以上が「同値マルチンゲール測度が存在する」の私なりの解釈です。 

この確率測度Qは、ただ存在している事を証明するだけでは意味がありません。実際にどのような値になるか特定できなければ、オプション価格の計算が出来ません。導出の仕方は、確率空間をどうモデル化するかによりますが、2項モデルであれば連立方程式を解いて簡単に導出できます。またブラウン運動が生成する連続な確率空間であればギルザノフの定理を使って導出できます。 

 

2.2.2.4 Contingent Claimのリスクを完全にヘッジできる取引戦略とは

つぎに前者の疑問、すなわち Contingent Claim(オプション)に対して、「そのリスクを完全にヘッジできる取引戦略を構築できる」 の部分です。本当にそんな事は可能なのでしょうか。 

Fundamental Theory of Asset Pricing(Arbitrage Pricing Theory)に関する各種文献は、離散時間で事象数が有限な確率空間や、ブラウン運動が生成する連続な確率空間では、一定の条件下でそれが可能であると数学的に証明されています。しかしどの文献でも、その戦略が具体的にどのようなものかは特定されていません。また数学的に証明されたとしても、いくつかの前提条件あり、実際の市場環境がそれらの条件を満たしていなければ、実務上どうなるのかという疑問が残ります。 

Contingent Claim の価格は、対象資産の価格(確率変数)の影響を受けるので、それに対する偏微分が計算できれば、その価格感応度を消すようなポジションを対象資産で構築し、少なくとも微小時間内での変動(傾き)のリスクは消せそうです。数学的には、Contingent Claim の価格式を、伊藤のレンマを使って、時間に対する偏微分の項と、対象資産価格に対する偏微分の項の線形結合の形に変換する事で求まります。 

実務で経験した事をもとにして言えば、Black-Scholesモデルが使われている、対象資産が1個のシンプルなオプションであれば、完全なヘッジは無理でも、かなりそれに近づける事はできると思います。(基礎編 オプションのデルタヘッジ戦略) しかしそれを、より一般化したモデルにも適用していいのかは、疑問です。各種の文献では、数学的な証明のみ為されているだけで、実務上の限界について説明されている文献は、私の知る限り見当たりません。 

という事で、基本定理を、実務家でも理解しやすいような筋道を立てて説明してみました。  上級編なので、さすがに直感に訴えるだけの説明では不十分なので、きちんとした数学的なTerminologyを使いながら、もとの定理の証明過程をなぞり、次のチャプターでもう少し詳しくみてみたいと思います。  

 

 

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