基礎編 4. オプション 

4.3 Black-Scholesモデルの解説

4.3.3 追加の説明

少し話がそれますが、流体力学を専門にしている物理学者の知人から、次の様な話を聞きました。すなわち、「物理現象を数式で記述するにあたって、観測データにフィットする説明力の高い微分方程式の形まで到達すれば、そこで勝負あり。そこから方程式の解を求めるプロセスは、数値解析を使えば何とかなる。微分方程式まで辿り着くのが大変なのだ。」というものです。私自身は、物理学の専門家では無いので、このStatementが正しいのかどうか判りません。しかし、前のセクションで説明した、Black-Scholesのオプション価格式に辿り着くまでの道筋をみると、(ii)から(iii)までのプロセスを発見するのが大変で、(iii)から(iv)のプロセスは、何等かの方法で導き出せる、と言っているのと同じ事かと思います。 

実際に(iii)の微分方程式(Black-Scholes Equation)から、(iv)の、その微分方程式の解析解を導出する過程は、Black-Scholes 以前に、既に数学者や物理学者の方々が、様々な方法を導き出されていたようです。Black-Scholes は、熱拡散方程式と同じ形の偏微分方程式に変形し、初期条件を与えて解析解を求めるプロセスを取りました。 

私自身は、実務からこの世界に入った人間なので、この部分の解析プロセスの説明は数学の専門家の方におまかせしたいと思います。中学、高校の数学で習った、2次方程式の解の公式は、いちいち、その導出過程を証明しながら使った訳ではありませんでした。それと同じように、微分方程式の解の導出方法に関する様々な公式は、そのまま有難く使わせて頂きたいと思います。 

(ii)から(iii)のプロセスについて、数式を使った証明(解析のプロセス)は、Black-Scholes の論文そのものにも載っていますし、前に紹介した金融工学のサイトにも詳しい説明があります。私が説明するより、その方面のプロの方の説明の方がはるかに解りやすいでしょう。数理ファイナンスの世界へようこそ:Black-Scholesの偏微分方程式 

実務の人間にとっては、直感で理解する事の方が大事かと思います。その為には、4.2で説明したデルタヘッジ戦略を再度吟味してみて下さい。デルタヘッジ戦略により、ヘッジポジション全体を見れば、株価変動のリスクが大きく軽減されています。Black-Scholesは、デルタヘッジ戦略を連続時間で繰り返せば損益変動はゼロになるという仮定をしています。実際には連続時間でのデルタヘッジ戦略は不可能ですが、離散時間で行っても、損益変動が極めて小さくなっている点に注目して下さい。この程度の損益変動なら、ヘッジポートフォリオ―のリターンがリスクフリー金利に収斂すると言っても、実務的には受け入れ可能かと思います。実際に、1980年代後半に、日本株のワラント(株のコールオプションと同じ)が、非常に割安に流通していた際、それを使ったデルタヘッジ戦略で大きな収益を上げたトレーダーやヘッジファンドがありました。 

< 株のショートポジション 

Black-Scholesのオプション価格式導出過程の説明の最初に、Black-Scholesが立てた仮定をリストアップし、その中でも(6)が最も重要であると述べました。 (6)は、オプションの対象資産となっている株式は、コストゼロで自由にショートポジションを作れるというものでした。この仮定が重要なのは、これが成り立たなければ、デルタヘッジ戦略を取ることが出来ず、従ってBlack-Scholes Equationを導出した(ii)から(iii)までの論理プロセスが成立しないからです。 

実は、実務では、そういうケースが多々あります。主要な取引所に上場している上場株式であれば、信用取引の制度が整備されており、比較的自由にショートポジション(空売りあるいは信用売り)を作る事ができます。この場合、借株料に相当するコストがかかり、Black-Scholesが仮定したように、コストゼロという訳にはいきませんが、オプション価格式に借株料を含めて計算式を少し修正すれば、問題ありません。4.2で説明したように、そのコストをオプション価格式に含め、トータルの採算を計算すれば、デルタヘッジ戦略は成立します。 

しかし、非上場の株式ではこうなりません。そもそも、非上場の株式であれば、株価を観測する事ができず、確率過程のモデルそのものが成立しません。 

上場株式であっても、デルタヘッジ戦略を取るのが難しいケースがあります。

 昔、ある会社から、転換社債の価格算定を依頼された事がありました。発行された転換社債がすべて株式に転換された場合、発行済株式数の25%程度になる規模の発行額でした。その会社はオーナー企業で、特定株主が発行済株式数の相当数を保有しており、市場に流通している株式数は、せいぜい発行総額の20%程度でした。この会社は、その転換社債の大半を、ある特定の投資家に保有させたいのだが、その場合の転換社債の価格はどのように計算すれば良いかという依頼でした。転換社債は、社債と株式オプションが結合した商品です。従って、転換社債の価格計算は、発行体のクレジットリスクと金利リスクと株価変動リスクを同時に織り込んだ、かなり複雑な価格計算方法を使う必要があります。しかし、ここでは株式オプションの価値部分だけを考えてみましょう。この場合、転換社債に内包する株式オプション部分について、デルタヘッジ戦略を取る事は不可能です。流通している株式数からして、無理です。そうすると、Black-ScholesがBlack-Scholes Equationを導出した論拠が成立しません。デルタヘッジできない部分は、株価のリスクが消せないので、リスクプレミアムが乗っかった確率過程を使わざるを得なくなります。そして、それは客観的に決める事が極めて困難です。こういったケースでは、Black-Scholesの価格式あるいは、それと同じ部類の価格式は使うべきではありません。同じ部類といいましたが、現在実務で使われているオプションの価格計算導出方法は、すべて同じ部類(ドリフト項の係数がリスクフリー金利となる確率過程を想定したもの)です。という事は、このケースでのオプション価格は、リスク中立な確率過程を前提とした計算式では一切計算できないという事になります。  

おそらく、このようなケースでは、コーポレートファイナンスの分野で使われている、“企業価値分析”の手法を使うべきでしょう。クオンツファイナンスの分野の“確率過程をベースにした価格式”は使うべきではありません。 

 

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