上級編 2. オプション評価法とArbitrage Pricing Theory

2.2 資産価格付けの基本定理
     Fundamental Theory of Asset Pricing (Arbitrage Pricing Theory)

2.2.3 Fundamental Theory of Asset Pricing の論理構成 (続き)

2.2.3.4 Attainable な Contingent Claim (オプション)

前のセクションで説明した通り、ある証券と、それを対象資産とする Contingent Claim (オプション) の間で、市場参加者は常に裁定機会を探しており、その結果 Contingent Claim の価格は、もはや裁定取引が出来ない水準に収束していきます。その水準では、ヘッジ後のポジションのリターンはリスクフリー金利に収束します。それが Arbitrage Free の状態です。 

こうなるには、片方の商品で、もう片方の商品のリスクが完全に消せる事(リスクフリーになる事)が条件になります。現物と先物のように、それぞれが線形リスクの商品同士では簡単に出来そうですが、非線形のリスクを持つ Contingent Claim のリスクを完全にヘッジできる取引戦略など、存在するのでしょうか?  

まず、このような取引戦略が、数学的にどのように表現されているかについて、 Harrison-KrepsHarrison-Pliska の論文を参考に説明してみます。 

ある Contingent Claim(オプション) の満期 Payoff(T) と完全に一致するキャッシュフローをもたらす取引戦略 \(\boldsymbol \phi(T)\) があると仮定します。そのような Contingent Claim を、Harrison-KrepsやHarrison-Pliskaの論文では、Attainable と呼んでいます。(Replicate出来るという表現を使っている論文もあり、語感としてはそちらの方が分かりやすいと思います。)その Contingent Claim のオプションの満期時の価格は Payoff関数に依存する汎関数\((R^∞→R)\) となるので、それを \(X(Payoff(T,{\bf S}))\) と置きます。また、それを Replicate できる取引戦略を \(\boldsymbol \phi_T\) とします。\(\boldsymbol \phi_T\) は確率変数 \(\bf S\) に依存し、その取引戦略の価値\(V(\boldsymbol \phi_T)\) も同様に線形汎関数になります。Contingent Claimが Attainable であれば、両者の価値は満期(T)時で一致するので 

\[ V_T(\boldsymbol \phi_T)=\sum_{k=0}^K \phi_T^k S_T^k=X(Payoff(T,{\bf S})) \]

となります。市場が Arbitrage Free であれば、この取引戦略は、\(0\leq t \leq T \) となる任意の時点tにおいても、常に \(X(t,{\bf S})\) のリスクを Replicate していなければなりません。従って 

\[ dV_t(\boldsymbol \phi_t({\bf S}))=dX(t,{\bf S}),\ \ 0\leq t \leq T \\ V_T(\boldsymbol \phi_T)=V_0(\boldsymbol \phi_0)+\int_0^T dV_t dt=V_0(\boldsymbol \phi_0)+\int_0^T G_t dt \\ X(Payoff(T,{\bf S}))=X(0,{\bf S_0})+\int_0^T dX(t,{\bf S})dt \]

が成立していなければならず、従って 任意の時間 t において \(V_t(\boldsymbol \phi_t({\bf S_t}))=X(t,{\bf S_t})\) となります。t=0 まで遡ると、この時点の取引戦略全体の価値 \(V_0(\boldsymbol \phi_0)\) が、Contingent Claim X の現在価値と一致するはずです。 すなわち、 

\[ X(Payoff(T,{\bf S}))=V_T(\boldsymbol \phi_T)=V_0(\boldsymbol \phi_0)+\int_0^T G_t dt =X(0,{\bf S_0})+\int_0^T dX(t,{\bf S})dt \\ V_0(\boldsymbol \phi_0({\bf S_0}))=X(0,{\bf S_0}) \]

となります。 

これを、t=0からの動きとして見てみると 

  1. t=0 時に、X の微小時間の動きを Replicate する取引戦略\(V_0(\boldsymbol \phi_0({\bf S_0}))=\sum_{k=0}^K \phi_0^k S_0^k \) を構築し、dt 後、新たに加わった情報 \(\scr F_{0+dt}\) (証券の価格が動いたこと)により、そのポジションから損益 \(G_{0+dt}(\boldsymbol \phi)\) が発生する。
  2. 同時に Self-Financing の制限の範囲内で、新たな \(\scr F_{0+dt}\) に対応する \(X(t,{\bf S_{0+dt}})\) のリスクを完全に Replicate できる \(\boldsymbol \phi_{0+dt} ({\bf S}_{0+dt})\) にポジションを入れ替える。
  3. これを、T 時まで繰り返すと、その間、損益 \(G_t\) が累積して \(\int_0^T G_t dt\) となります。
  4. 最終的に、満期時の取引戦略の価値は \(V_T(\boldsymbol \phi_T)\) となり、それがどのような \(\bf S\) に対しても、Contingent Claim の\(Payoff(T,\bf S)\) と完全に一致し、かつその値は、当初の取引戦略の価値に損益の累計を加えた \(V_0(\boldsymbol \phi_0)+\int_0^T G_t dt\) と一致する事を意味します。

仮に、シンプルなヨーロピアンオプションであれば、T時の取引戦略のポジションは、 

  • オプションが In the Money の場合は、オプション行使した場合と同額の \(\bf S\) のポジションと、In the Money 相当額から当初オプションプレミアム(=当初の取引戦略の価値)を差し引いた額と同額の累積損益、すなわち \[ \boldsymbol \phi_T {\bf S_T}= Option Notional Amount \\ \int_0^T G_t dt =In the Money Value-V_0(\boldsymbol \phi_0) \] となっているはずです。
  • オプションがOut of the Moneyの場合は、対象証券のポジションはゼロで、累積損益は、 \[ \boldsymbol \phi_T {\bf S_T}= 0 \\ \int_0^T G_t dt =-V_0(\boldsymbol \phi_0) \] となっているはずです。(市場の動きが、Contingent Claim の価格計算で使われたパラメータ通りに動いた場合という条件が付きますが。)

仮に、そのような取引戦略が存在するのであれば、Contingent Claim を、この取引戦略で完全にヘッジしてリスクを消す事が可能になります(Replicateするポジションの符号をプラスマイナス逆にすれば、リスクヘッジ取引になる)。そうするとヘッジ後のポジションはリスクがゼロとなり、市場参加者の裁定行動の結果リスクフリー金利のリターンに収束していき、Arbitrage Free の状態で均衡します。 

 

2.2.3.5 Attainableとなる具体的な取引戦略とは

さて、本当にそのような取引戦略が都合よく存在するのか、直感では疑いたくなります。殆どの論文は、そういった取引戦略が存在すると仮定し、かつ数学的にもその存在を証明していますが、それが具体的にどのようなものかは説明していません。具体的な取引戦略がイメージできない事が、この難解な基本定理の理解の妨げになっているかもしれません。そこで、もう少し具体的にイメージできるように説明してみます。 

まず、証券市場モデルが2項モデルであれば、Δt 後の証券価格は2通りしか存在せず、連立方程式を解く事で、Node ごとの取引き戦略が簡単に求まります。Harrison-Priskaの論文でも、離散的なモデルにおいて、Contingent Claim が Attainable となる条件は、分岐先のNode数が、K+1の場合に限るとしています。K=1(リスク資産がひとつ)の証券市場モデルであれば、2項モデルがそれに該当します。しかし、実際の証券の価格の変化が2通りしか無いはずがありません。確率変動をここまで単純化・モデル化して、実際の証券価格の動きをうまく記述できるのかという疑問も湧きます。しかし、ご存知かと思いますが、2項モデルは、Δt の間隔をどんどん小さくしていけば、満期時の証券の価格分布が(対数)正規分布に分布収束していく事が知られています。取引戦略についても、実際には、次に説明する連続時間での戦略と同じように、微小時間における \(\bf S\) の変化をヘッジするもの、すなわちデルタヘッジと同等のものになります。 

一方で、証券市場モデルが、 Black-Scholesモデルのように、ブラウン運動が生成する確率空間であれば、“マルチンゲール表現定理”という強力な定理があり、それを使って、そういった取引戦略の存在が証明されています。ある確率空間上のマルチンゲール(ここでは、Discount された Contingent Claim の価格過程) は、ブラウン運動を積分関数とする伊藤積分として表現できる(=何等かの被積分関数が存在する)というものです。その被積分関数は、その確率空間上の確率変数(対象資産)の線形結合になり、それが取引戦略に該当します。但し、この定理では、そういう関数が「存在する」としか言っておらず、具体的にどういうものかは示していません。 

実際に、具体的な取引戦略は、次の様にして求めます。(以下はAndersen-Piterbarg “Interest Rate Modeling”を参考にしています) 

Contingent Claim \(X(t,\bf S)\) も、それを完全にヘッジする取引戦略の価値 \(V(\boldsymbol \phi(t、\bf S))\) も、確率変数Sに依存する確率変数で、それぞれの価値の\(\bf S\) の変動に対する感応度を求める事が出来ます。(数学的に一定の条件下でのみ可能です)。 \(\bf S\) の確率過程が、以下のような式で表現できるとすると、 

\[ {\bf dS}=\boldsymbol \mu(t,{\bf S})dt+\boldsymbol \sigma(t,\bf S)dW \]

Contingent Claim \(X(t,\bf S)\) の微小時間における変化は、伊藤のレンマをつかって次の様に表現できます。 

\[ dX(t,{\bf S})=\frac{\partial X}{\partial t}dt+\sum_{k=1}^K \frac{\partial X}{\partial S_k} \mu_k(t)dt+\frac{1}{2} \sum_{k=1}^K \sum_{j=1}^K \frac{\partial^2 X}{\partial S_k \partial S_j } \sigma_k \sigma_j (t)dt+\sum_{k=1}^K \frac{\partial X}{\partial S_k} \sigma_k (t)dW(t) \]

一方、取引戦略 V は確率変数 \(\bf S\) の線形結合なので、簡単に次の様に分解できます。 

\[ dV(t)=\sum_{k=1}^K \phi_k dS_k=\sum_{k=1}^K \phi_k \mu_k dt+\sum_{k=1}^K \phi_k \sigma_k dW(t) \]

この2つの式の両辺が一致するので、それを解くと 

\[ \phi_k=\frac{\partial X(t,S)}{∂S_k},\ \ \ k=1,2,…,K \\ \frac{\partial X}{\partial t}dt+\frac{1}{2} \sum_{k=1}^K \sum_{j=1}^K \frac{\partial^2 X}{\partial S_k \partial S_j } \sigma_k \sigma_j (t)dt=0 \]

この第1式が Contingent Claim を完全に Replicate する取引戦略、いわゆるデルタヘッジになります。すなわち、Contingent Claim の各 S に対する感応度は、非線形ではあるものの、それを消す為の取引戦略を、微小時間で細かく動かせば、リスクは完全にヘッジできるという考え方です。(ちなみに、2番目の等式は、完全にヘッジされたポジションの価格過程がマルチンゲールになる為の条件です。) 

直感では、Contingent Claim のリスクを完全にヘッジできる取引戦略をイメージしにくい理由のひとつは、実際のトレーディングでは、\(\bf S\) の微小な変化にあわせて、連続時間でポジションの調整を行う事が不可能だからです。しかし、実際にオプションのトレーディングを経験していれば、オプションの満期までの期間が長い場合、1日1回程度の戦略調整でも、かなりリスクを消せる事が実感できます。戦略調整の回数をもっと増やせば、リスクはゼロに近づきますが、現実には取引コストが発生するので、適度なバランスが必要です。要は、実務的にも数学的にも、この取引戦略で、完全にヘッジは出来ないものの、かなりそれに近づける事は可能という風に理解すればいいと思います。(基礎編 デルタヘッジ戦略) 

シンプルなヨーロピアンオプションで、Black-Scholesモデルを使って、価格式を導出できる場合は、上記のように理解すればいいでしょうが、エキゾチックオプションでは、Replicate できる取引戦略の構築が非常に難しいものがあります。例えば、Digital Option や ノックイン、ノックアウトオプション のように、Payoff関数が非連続な場合は、有効なヘッジ戦略が取れない可能性があります。これは、取引戦略 \(\boldsymbol \phi_t\) が場合によっては、デルタが 100% を超え、∞ に発散する特異点が存在する為です。 

また、クレジットデリバティブズのように、確率過程にジャンプが伴う場合も、完全にリスクを消せる取引戦略が存在するか疑問です。私自身、それを数学的に証明する能力を持ち合わせていませんが、実際のトレーディングから、それが非常に難しい事を経験しています。クレジットデリバティブズの内、リスクが非線形のもの (First To Defaultや、クレジットバスケットをトランシェ分けした商品など) については、デフォールトによるジャンプリスクのヘッジを対象クレジットだけでヘッジするのは不可能と考えます。 

こういった場合、ヘッジが出来なければ、この基本定理を使う事ができず、従ってリスクフリー金利のリターンをもたらすようなヘッジポジションが構築できない事になります。実務上、こういった商品の時価評価をどのように行うか、大きな課題ですが、時価評価額にリザーブ(引当金)を積むような対応をするのが一般的です。(基礎編 リスク量の計測  やっかいな非線形リスク ) すなわち、基本定理を使ったオプション価格の計算方法が正確でないと認めているようなものです。 

2.2.3.6 ニュメレール と 同値マルチンゲール測度

さて、このニュメレールと同値マルチンゲール測度(あるいはリスク中立測度)の概念ですが、どの文献を読んでも、実務の人間からすると理解しづらいものがあります。この2つの概念は、通常次の様な関係で説明されています。すなわち、

「確率変動する資産価格のニュメレールに対する相対価格は、同値マルチンゲール測度(=リスク中立測度)で期待値を計算すると、マルチンゲールになる」

といった表現が為されています。確率測度を自然な測度Pから同値マルチンゲール測度 Q に変換するのは、ギルザノフの定理を使って数学的に導出できます。その数学的に導出された Q 測度を使えば、ニュメレールの価格で割り算するだけでマルチンゲールになるような印象を受けてしまいます。あるいは、同値マルチンゲール測度は「リスク中立測度」という呼び方もされますが、実際の確率測度が、投資家の行動によって Q に収束するような印象を与えてしまいます。CAPM では、市場参加者が Risk Averse (リスク回避的に行動する)である事が大前提ですが、仮に Risk Neutral(リスク中立) の投資家だけしかいない場合、各証券のリスクプレミアムは消え去り、リスクの高い商品もリスクフリーの商品もすべてリスクフリーのリターンに収束均衡する事になります。そんな事は、実際にあり得ないし、ここで説明している基本定理も、そういう事を言っている訳ではありません。 

では、証券の価格をニュメレールとの相対価格として期待値を計算すると、マルチンゲールになるとは、実際の経済現象として何が起こっていると考えればいいのでしょうか? 

市場参加者が裁定行動を取る場合、リスクが無いポジションのリターンはリスクフリー金利に収束すると述べました。先ほど述べた、市場参加者が Risk Averse の場合、リスクがある商品はリスクプレミアムが乗っかり、しかもそれは投資家毎に異なるので、なかなか一意に均衡しません。しかしリスクフリーの金融商品は、どのような Risk Averse の市場参加者であっても、リターンはリスクフリー金利に収束します。リスクフリー金利は、客観的にリスクフリー商品のイールドカーブから導出でき、すべての市場参加者にとって共通だからです。(という建前です。実務上のリスクフリー金利は、必ずしも一意に決まらない点については、上級編 イールドカーブ Multi-Curve対応 参照) 

Contingent Claim について、満期時の Payoff関数を完全に Replicate できる取引戦略が存在するなら(Attainableなら)、Contingent Claim のリスクはその取引戦略を使って完全にヘッジできます。その結果、そのリスクヘッジ後のポジションのリターンは、裁定行動によってリスクフリー金利に収束していくはずです。これが Arbitrage Free の状態です。またその現在価値は、取引戦略の現時点での価値に一致します。これが、Arbitrage Pricing Theory (あるいはFundamental Theory of Asset Pricing)の根幹です。 

ここで、Contingent Claim \(X(t,\bf S)\) と、それを Replicate して完全にヘッジする取引戦略 \(V(t,\boldsymbol \phi)\) を合算したポジションの価格に対し、証券市場モデルで定義した \(S_t^0\) 証券(Money Market Account)との相対価格を考えます。すると、完全にヘッジされたポジションのリターンは、リスクフリー金利と一致する、すなわち \(S_t^0\) のリターンと一致するので、その相対価格は t にかかわらず一定になるはずで。さらに、それは t=0 の時の完全にヘッジされたポジションの価値と一致するはずです。式で表すと、次の様になります。 

\[ \frac{X(t,{\bf S})+V(t,\boldsymbol \phi)}{S_t^0}=\frac{(X(0,{\bf S})+V(0,\boldsymbol \phi)e^{rt}}{S_0^0 e^{rt}}=X(0,S)+V(0,ϕ) \]

但し \(S_0^0=1\) と置いています。 

この式の左辺の分子にある2つの項はいずれも確率変数であり、それを変数とする線形汎関数(ある確率測度Qを使った期待値演算子のこと)を考える事ができます。そして、その期待値演算子を使って導出された値が、右辺と一致する事になります。これは、この確率過程が、ある測度 Q を使って期待値演算を行うと、マルチンゲールになる事を意味しています。すなわち 

\[ E^Q \left[ \frac { \{ X(s,{\bf S})+V(s,\boldsymbol \phi) \} } {S_s^0} | \scr F_t \right] =E^Q \left[ e^{-rs}X(s,{\bf S})+e^{-rs} V(s,\boldsymbol \phi)|\scr F_t \right] \\ =E^Q \left[ e^{-rs} X(s,{\bf S})|\scr F_t \right]+E^Q \left[ e^{-rs} V(s,\boldsymbol \phi)|\scr F_t \right]\\ =\frac { \{X(t,S)+V(t,ϕ)\} } {S_t^0} =X(0,{\bf S})+V(0,\boldsymbol \phi),\ \ \ 0 \leq t \leq s \]

この式が成立するような確率測度 Q は、観測されるものでは無く、上の期待値計算の式が成立するように、無理やり探し出した測度です。この測度 Q は、自然な確率測度 P と同値で、かつ \(S_t^0\) との相対価格がマルチンゲールになるので、同値マルチンゲール測度(あるいはリスク中立測度)と呼ばれています。また、\(S_t^0\) は、ニュメレール(基準財)と呼ばれています。無理やり探し出した確率測度と述べましたが、証券の価格の確率変動が、ブラウン運動によって支配されている場合、数学的にはギルザノフの定理を使って解析的に導出できます。直感で理解しやすい説明としては、確率過程のドリフト項を、リスクプレミアムを含んだ \(\mu\) から、リスクフリー金利 r に入れ替えて、一定期間後の確率分布を求めた場合の確率測度になります。その時の分布が対数正規分布の場合、平均が \(\mu t− 1/2 \sigma^2 t\) から \(rt−1/2 \sigma^2 t\)にシフトしたものになります。分散 \(\sigma^2 t\) は変わりません。 

 さて、上の期待値演算の式は2つの式に分解できます。 

\[ E^Q \left[ e^{-rs} X(s,{\bf S})|\scr F_t \right] = \frac{X(t,{\bf S})}{S_t^0},\ \ 0 \leq t \leq s \leq T \\ E^Q \left[ e^{-rs} V(t,\boldsymbol \phi)|\scr F_t \right]=\frac{V(t,\boldsymbol \phi)}{S_t^0},\ \ 0 \leq t \leq s \leq T \]

ここから、 

\[ E^Q \left[ e^{-rT}X(T,{\bf S})|\scr F_0 \right]=E^Q \left[ e^{-rT}Payoff(T,{\bf S})|\scr F_0 \right]=X(0,{\bf S}) \]

という、求めていた関係式が導出できました。すなわち、Contingent Claim(オプション)の価格は、満期 Payoff関数を、同値マルチンゲール測度を使って期待値を計算し、それを現在価値に換算して求まるという事です。これでこのセクションの一番最初に説明したオプション価格の式 

\[ オプション価格 = \sum_{\Omega }Payoff(\omega )\times Probability(\omega )\times DiscountFactor(r(t,\omega ))d\omega \]

に辿り着きました。但し、\(Probability(\omega )\) は同値マルチンゲール測度を使った確率です。 

このセクションの最初に述べた、各種の論文で見られるニュメレールと同値マルチンゲール測度の関係の説明は、上記のように、完全にヘッジされたポジションの期待値計算を、別々に分解して、片方だけを見て説明したものです。そうすると、確率変動する証券価格の期待値が、ニュメレールの価格と割り算をするだけで、マルチンゲールになるように見えてしまいます。実際には、変動していないものを、無理やり確率変数とみなして期待値計算をしているだけです。 

 

測度変換とニュメレールの関係について、比喩を使って別の説明をしてみます。 

スポーツジムに行くと、必ず見かけるのが、ランニングマシン(Treadmill)です。この上を走っている人は、一定のスピードで前に進んでいるものの、その横で立っている人から見れば、全く前に進んでいません。すなわち、相対速度は 0 です。仮に、ランニングマシンの上に、ランダムに前に進んだり後ろに進んだりする動物を乗せ、優秀なセンサーがその動きを感知してベルトを前後に動かし、動物を絶対に落とさないようにする、そのようなランニングマシンがあったとします。 この場合も横に立っている人から見れば、相対速度は 0 で、全く動いていないように見えます。しかし、ランニングマシン上の動物は、ランダムに前後に動いています。 

これは、横に立っている人がニュメレールで、ランニングマシン上のランダムに動く動物が、確率変動するリスク資産で、優秀なランニングマシンが、リスクを完全にヘッジする取引戦略に該当します。動物自体は、自然な確率測度でランダムに動いています。しかし、ランニングマシンのおかげで、横に立っている人からみれば、全く動いていないように見えるだけです。さらに言えば、横に立っている人も、地球の自転に従って、地球の外からみれば一定のスピードで動いています。ランニングマシン上の動物も、全く同じスピードで動いています。これが、Money Market Accountのリターンである \(e^{rt}\) に相当します。確率変動する金融商品のリスクを完全にヘッジする際、どのリターンを規準にアービトラージをするかの問題で、Arbitrage Freeの市場ではそういったポジションのリターンが\(e^{rt}\) に収束し、そういったリターンをもたらす商品をニュメレールと考えます。 

ニュメレールについて、いくつかの文献では、同じ証券市場モデル上の証券で、必ず正の値をとる証券であれば何でもいいように書かれています。しかし、ニュメレールは市場参加者がアービトラージ取引を行う場合に、基準となるリターン(リスクフリー金利のリターン)を生み出す金融商品に限って考える方が理解しやすいと思います。金利オプションの理論で、ニュメレールの変換という数学的テクニックが使われますが、実質的には、アービトラージをする際の基準金利を、リスクフリーのイールドカーブから導出される"瞬間短期金利"にするか、そこから導出される"ゼロクーポン債"にするかの違いで、前者を一定期間後まで積分した値が、ゼロクーポン債価格の逆数になるので、実質的には同じリスクフリー金利のリターンを考えていることになります。 

仮に、リスクのある資産 \(S_t^k\) をニュメレールに選んだ場合でも、期待値計算の結果得られる Contingent Claim の価格は同じになります。その場合は、分母にリスクフリー資産 \(S_t^0\) が来ます。ランニングマシンの例で言えば、乗っている動物からみれば、横に立っている人が止まって見えるのと同じで、先ほどと同じ状況を別の主体から見ているだけです。結局、何等かの取引戦略により、相対価格をゼロにできる組合せなら何でもいい訳ですが、リスクフリー資産以外の証券をニュメレールに使うと、経済実態上の意味づけが難しくなってしまいます。 

 

2.2.3.7 再び基本定理に戻る

さて、以上の枠組みを理解した上で基本定理に戻ります。まず、第1定理ですが、 

1. 証券市場がArbitrage Freeである事と、同値マルチンゲール測度の存在は同値である。 

私自身、これの数学的な証明を解説する能力はありません。これまでに紹介した、論文やサイトをご覧下さい。数学的な証明の為に、様々な概念を抽象化、一般化しており、なかなか難解です。 

この定理について、必要条件である「Arbitrage Freeならば、同値マルチンゲール測度が存在する。」は、これまでの私の説明で、直感的にも理解できるのではないでしょうか。私の言い方で言えば、「市場が裁定行動によりArbitrage Freeの価格に収束しているなら、完全にリスクヘッジされたポジションの価格と、リスクフリー商品との相対価格は常に一定になる。そのポジションの期待値を無理やり計算した時に、それが成立するような確率測度が存在し、それが同値マルチンゲール測度である」というものです。 

しかし、十分条件の方は、直感では理解しづらいです。すなわち「同値マルチンゲール測度が存在するなら、Arbitrage Freeである」こと。 そもそも、同値マルチンゲール測度など、客観的に観測できません。自然な確率測度を数学的に測度変換は可能ですが、数学的に可能だからそれが存在していて、その結果市場がArbitrage Freeになると言われても、なかなか腹に落ちません。これが、私の不理解によるものであれば、ご容赦下さい。どなたか、実際の市場で起こっている現象をもとに、実務家が理解できるような解説をして欲しいものです。 

 

次に第2定理です。 

2. 証券市場がArbitrage Freeであると仮定すると、その証券市場がCompleteである事と、オプション価格が一意に決まる事は同値である。 

ここで、証券市場がCompleteという表現が出てきました。Harrison-KrepsやHarrison-Pliskaの論文では、「すべてのContingent ClaimがAttainableの場合」と定義されています。関数空間が“完備”という意味が含まれているとも思いますが、あえて“完備”と訳さず、英語のまま使っています。ここで言う関数空間は、期待値演算子が形成する空間を意味していると理解しています。その期待値演算子を、確率変数を実数に変換する連続な線形汎関数という抽象的な概念で表現し、それが稠密に存在している関数空間では、オプション価格が一意に決まるという事を言っています。わかりにくいですね。これの証明も、私の説明能力を超えています。 

ここでも、私なりの理解は、Contingent Claimのリスクを完全にヘッジできる取引戦略があれば、合算したポジションはリスクフリー金利のリターンをもたらし、それをむりやり期待値演算子で計算すると、マルチンゲールになり、かつリスクフリー金利は一意に決まるので、その期待値演算子も一意に求まるという風に理解しています。 

そして、そのような取引戦略が本当に存在するのかという疑問については、これまでの説明をご覧下さい。基本定理が想定している取引戦略は、非常に微小な時間に \(\bf S\) の変化に合わせて戦略 \(\boldsymbol \phi\) を変化させるものです。微小時間では、非線形な Contingent Claim の対象資産の変動に対する感応度を、曲線の傾き(デルタ)を使って、線形な \(\bf S\) のリスクでヘッジ可能と見做しているものです。実務では、連続時間でのヘッジは不可能ですが、離散的に行っても、かなりそれに近づける事は可能です。一方で、確率過程にジャンプが伴う場合や、Payoff関数が非連続な場合、リスクを完全にヘッジする取引戦略の構築は非常に難しいと思います。 

以上が、Fundamental Theory of Asset Pricing(Arbitrage Pricing Theory)を、実務家がある程度直感でも理解できるような解説でした。私自身、数学的な理解は不十分だと思いますので、誤解があればご容赦下さい。しかし、実務で経験した事からすれば、私流の思考過程で、大きく間違っているとは思いません。 

 

 

 

 

目次

Page Top に戻る

// // //