基礎編 6. クレジットデリバティブズ
6.2 クレジットデフォールトスワップン
6.2.2 CDS契約で使われる用語の定義の統一
CDS契約では、その価値が、契約条件の経済的側面のみならず、法的側面にもかなり依存します。CDS契約の根幹を為す重要な用語・文言は、前セクションの説明の中で示した通り、
- Reference Entity (参照債務者)
- Reference Obligation (参照債務)
- Credit Event (信用棄損事由)
- Loss Given Default (デフォールトによる喫損額)
になります。これらの文言が意味する範囲によって、CDS契約の価値も左右されます。なので、その意味する範囲が明確になるよう、契約の中で厳密に定義される必要があります。すなわち、どの reference entity の、どの範囲の reference obligation が CDS契約による protection の対象になるのか?またどのような事由が credit event になるのか?仮に credit Event が発生した場合に、損失の補償額をどのように決めるのか?を明確に定義しておく必要があります。実際に CDS契約の当事者間で訴訟になるケースでは、概ね、この4つの定義の範囲で争いが起こっています。
Reference Entity については、具体的な債務者のみならず、その債務者が資金調達の為に設立したペーパーカンパニーや、業務を一体で行っているグループ会社を、どこまで含めるのかが問題になります。それらの会社名を契約の中で具体的に列挙すれば明確になりますが、それだと CDS契約締結後に新たに設立した資金調達用のペーパーカンパニーが含まれないといった問題が発生します。CDS では、契約後に新たに発生した債務もカバーするような契約が一般的で、その場合、将来のどのような Reference Entity の債務が含まれるのか、ある程度包括的な表現にする必要があり、範囲を明確にするのは簡単ではありません。さらに、当初特定された債務者が、他の会社と合併した場合や、分割された場合に、Reference Entity は誰に引き継がれるのかという問題もあります。
また、対象となる債務の範囲(Reference Obligation)の特定も簡単ではありません。担保付債務、シニア債務、劣後債務は、同じ債務者でも倒産後の債権回収額(loss given default)に差が出るので、契約の中で範囲を明確に決めておく必要があります。ただ、債務ランクの構成は複雑で、それは簡単ではありません。また、同じシニアの債務であっても、債券やローンと、買掛金などの一般債務、商業手形、保証債務、銀行預金、の間では、清算・破産時の法的取り扱いが異なるケースがあり、それらのどこまで含めるのかも問題です。さらに、Credit Event が Restructuring であった場合、債務再編後の新たな債務について、その条件によって価格が異なる事になります。例えば、同じクーポンであっても残存期間が長い方が、通常、価格は低くなります。すると Loss Given Default 額を判定する際に、難しい問題が発生します。
Credit Eventは、倒産や破産手続きの開始などは、比較的明確ですが、一般的にデフォールトと呼ばれている債務不履行については、個別のローンや債券ごとに、定義はまちまちで、かつ実際にその事態が発生したかどうかは、当事者でないと判らないケースもあります(例えば、ローン契約に含まれる Covenants 違反など)。なので、CDS契約者がそのような当事者でない場合、判定するのは簡単ではありません。また、CDS契約では債務の再編(Restructuring)も Credit Event に含めるケースがあり、その判定はさらに難しくなります。また、Restructuring のケースでは、個別の債務毎に別の債務に再編されますが、その際、銘柄間で価格差が発生するケースが多々あります。なので、そういった場合に対応する Loss Given Default 額を決める方法も事前に明確に決めておく必要があります。
ことほど左様に、これらの用語の定義は難しいのですが、もしこれが、個々の契約でまちまちに定義されていたら、どうなるでしょうか? 同じ Reference Entity の債務であっても、ある CDS では資金調達用のグループ会社がカバーされていて、別の CDS では、それがカバーされていないとすると、両者間でリスクの相殺は不可能になります。また、契約書の文言を、当事者間で合意するのに、法務部門や外部弁護士による莫大な手間と時間とコストがかかるでしょう。なので、CDS契約が登場した当初から、そこで使われる用語を統一すべきだという、強い動機とニーズがありました。
という事で、CDS契約については、ISDA(International Swap Dealers Association)を中心に業界全体で、定義を統一する努力が続けられて来ました。その中で特に大きな動きは、3回あります。
(1) まず1999年に、続いて2003年に、ISDAにより Credit Derivatives Definitions が制定されました。これはクレジットデリバティブズ契約で使われる用語の定義集で、主要国の法律の専門家の意見を聞きながら取りまとめられたものです。CDS契約当事者がこれに準拠する事で、定義の統一を図る事が目的です。この定義集で、Reference Entity や Credit Eventの定義が詳細に定められました。未だ不十分ではあったものの、CDS契約の事務負担を大きく軽減し、かつ当事者間での争いを軽減する大きな効果がありました。
(2) 次に、2009年に2回、2003 Definitionsの大幅改定が行われました。この2回の大幅改定は Big Bang と Small Bang と呼ばれています。その主な内容は、Credit Event の認定をする Credit Event Determination Committee の設置と、その管理下で行われる、Credit Event発生後の Auctionの手続きの導入です。これにより、当事者間で屡々争点になる Credit Event の認定や、Loss Given Default 額の確定が、より客観的で一貫性のある手続きで決める事が出来るようになりました。
(3) さらに2014年 ISDA Definition の大幅改定が行われました。この改定で、特に新たに追加された条項として、
- 政府介入(Government Intervention)によるRestructuringを追加
- その際、ひとつの債務が、複数の債務(ローンや債券やワラントなど)に再編された場合の取り扱いを明確化
- SRO(Standard Reference Obligation)の制定により、対象債務を明確化
があります。これらの改定は、2010年代に発生したギリシャの債務再編や、オランダの銀行に対する政府支援による救済の事例で、それまでの定義で十分カバーされていなかった事象を明確にする為です。また、SROの制定は、対象債務(reference obligation)の区分の仕方を統一し、CDSの対象になるか否かをより明確にする目的でした。
さらに、ISDA のサポートの下、Markit社が Reference Entity のデータベースを作成し、そのリストを使う事で、Reference Entity の範囲をより明確にする努力も続けられています。 それ以外にも、マイナーな変更が都度為されて来ました。今では、大半の取引が、この ISDA Credit Derivatives Definitions に準拠するようになっています。