上級編 6.  Libor Market Model 

6.1.2  同値マルチンゲール測度と測度変換の公式(Brigo-Mercurio)

先ほど説明した通り、LMM は、複数のフォワード Libor の確率過程を、連立する SDE で表現したモデルです。その場合、ニュメレールをひとつに特定し、そのニュメレール測度(同値マルチンゲール測度)を基準にして、複数の Libor の同時分布を求める事になります。さらに、先ほど述べた通り、その確率測度下でマルチンゲールになるのは、せいぜい一個の Libor のみで、他の Libor の SDE にはドリフト項の調整が入ります。そして、“測度変換の公式” (Brigo-Mercurio)と呼ばれているものを使えば、その調整額が解析的に求まります。LMM の解説に入る前に、まずその”測度変換の公式”から解説を始めたいと思います。

以下の説明は、主に Brigo-Mercurio の“Interest Rate Models-Theory and Practice”2006年版 を参考にしています。

6.1.2.1  資産価格付けの基本定理(または裁定価格づけ定理 “Arbitrage Pricing Theory”)

ある証券市場のすべての金融商品について、その価格変動を Replicate (複製)できる取引戦略が存在している場合、資産価格付けの基本定理によれば、次のような命題が成立します。すなわち 

「市場が Arbitrage Free (裁定取引機会が不存在)であれば、自然な確率測度 P と同値なマルチンゲール測度が存在する。また市場が完備(=すべての証券のリスクを Replicate できる取引戦略が存在する)なら、すべてのデリバティブズ価格は、その同値マルチンゲール測度を使った期待値として求める事ができ、その価格は一意に決まる。」  

この理論は、ミクロ的なデリバティブズ価格を求めるクオンツファイナンス理論の土台になります。すべてのデリバティブズの価格評価は、この理論がベースになっています。しかしこの命題を見て、これが、実際に市場で起こる現象として、何を意味するのか理解するのは至難の業でしょう。その証明プロセスを読んでも、抽象的で難解な関数解析の理論を使っており、謎が深まるだけです。そこで、上級編の“資産価格付けの基本定理”の所で、この理論を直観でも理解できるような説明を試みました。この定理について再度確認されたい方は、今一度そちらを覗いてみて下さい。 

ちなみに、そこでも述べましたが、市場参加者の投資行動あるいは裁定取引により、自然な確率測度が、リスク中立測度や、その他の同値マルチンゲール測度にシフトしていく訳ではありません。市場参加者の裁定行動によっても、自然な確率測度は全く影響を受けず、そのままです。同値マルチンゲール測度の重要な例として、“リスク中立測度”があり、この呼び方が、そういう誤解を招きかねないので注意して下さい。というのは、CAPM の世界では、市場参加者の投資行動は Risk Averse(リスク回避傾向) であり、その結果、証券の期待リターンは、リスクに応じたリスクプレミアムが乗った水準に均衡していくと考えれています。
  ところが、仮に市場参加者がすべて Risk Neutral(リスク中立)であったなら、投資家はリスクに関係なくより高い期待リターンの証券を購入します。その結果、すべての証券の期待リターンが、リスクフリー金利に均衡していきます。この状態は、すべての商品の確率過程におけるドリフト項が、リスクフリー金利に均衡していく事を意味します。そこから、資産価格付けの基本定理における“リスク中立測度の存在”は、このような状態を意味すると理解してしまいそうです。
  しかし、実際の証券市場でそんな事は起こっておらず、CAPM でも、それは否定されています。上記の命題も、決してそんな事を言っている訳ではありません。リスク中立測度、あるいはそれを包含したより広い概念である同値マルチンゲール測度は、事象(すなわちランダムに動く証券価格)を観測する基準点を動かした場合に想定される確率測度です。

そして観測する基準点を動かすには、ある証券のリスクを、取引戦略で完全に消すか、あるいは他のリスクに完全に変換した場合についてのみ可能です。

ある証券と、そのリスクを完全に消した取引戦略を合算したポートフォリオは、リスクがゼロになるので、そのリターンは、投資家の裁定行動により、リスクフリー金利に瞬時に収束します。その場合に、その証券の確率分布を、リスクフリー金利のリターンを基準点としてみたのがリスク中立測度です。 

6.1.2.2  ニュメレール相対価格の期待値と同値マルチンゲール測度

自然な確率測度Pと同値なマルチンゲール測度は、リスク中立測度に限りません。以下に説明する通り、ニュメレールとして何等かの証券を選んだ場合、そのニュメレールを観測基準点とした新たな確率測度を、自然な確率測度と同値なマルチンゲール測度として導出できます。

まず、次の命題があります。この命題も、すべての金融商品について、その価格変動をReplicate(複製)できる取引戦略が存在しているという条件下でのみ成立します。 

「市場が Arbitrage Free なら、ニュメレールとの相対価格がマルチンゲールになるような、自然な確率測度 P と、同値な確率測度が存在する。」 

数式で表すと 

\[ \frac{S(t)}{N(t)} =E^{Q_N} \left[ \frac{S(T)}{N(T)} ~|~ F_t \right] \tag{6.2} \]

となります。上式の右辺 \(E^{Q_N} [~~]\) は、ニュメレール N を基準にした同値マルチンゲール測度 \(Q_N\) を使った期待値演算を表します。
確率測度 \(Q_N\) は、S(T) の確率分布を観察する基準点を、ニュメレール価格 N(T) のリターン(の期待値)に移した場合に得られる確率測度です。誤解を恐れずに直観に訴える言い方をすれば、S(T) の確率分布を、分散は P 測度と同じまま、平均だけを N(T) の平均と一致するようにシフトさせた確率分布です。ニュメレールとは、一般的に「価格が常に正となる、配当やクーポン支払いの無い基準財」と定義されており、具体例としてデフォールトリスクの無いゼロクーポン債があげられます。というのは、デフォールトするような証券だと、価格が 0 になる可能性があり、そうすると相対価格が定義できません。また、配当などのリターンがあると、観測基準点が、突如ジャンプしてしまい、相対価格が連続した確率過程でなくなるからです。いずれにしても、ニュメレールになり得る債券は、多数存在します。さらに言えば、通貨が異なっている債券でもニュメレールになり得ます。すると、それらのニュメレールに対応する同値なマルチンゲール測度も多数存在する事になります。 

では、そのニュメレールを基準とした確率測度下で、「S(T)とニュメレールの相対価格はマルチンゲールになる。」とはどういう意味でしょうか。例えば、市場で証券 S とニュメレール N の価格を観測した場合、価格を単に割り算をするだけでは、上の関係式は満たされません。S(T) も N(T) も、それぞれ自然な確率測度に従ってランダムに変動し、単に価格比を観察しても、それがマルチンゲールになる保証は全くありません。上の式が成立するのは、S(t) のリスクを、取引戦略を使って N(t) のリスクに変換した場合のみです。そのような説明をしている文献を見かけた事は無いのですが、そのように考える以外、上の命題は理解できません。いま考えている証券市場では、すべての証券について、その価格変動を Replicate できる取引戦略が存在すると仮定しています。従って、S(t) の価格変動についても、N(t) の価格変動に Replicate する事ができます。(例えば、S(t) のリスクを完全にヘッジする取引戦略を組んだ後、その取引戦略に N(t) のポジションを加えた取引戦略がそうなります。) すると、Replicate された取引戦略は N(t) と全く同じ動きをするので、アービトラージ取引によりそのリターンは N(t) のリターンに(瞬時に)収束します。そこで初めて、上記の期待値演算が成立するのです。最初に示した、資産価格付けの基本定理は、ニュメレールとして、リスクフリー金利で運用される預金口座を想定したものと理解できます。これは、S(T) のリスクを完全にヘッジしたポートフォリオはリスクがゼロなので、そのリターンがリスクフリー金利に瞬時に収束するからです。これについても、別の所で直観でも理解できるような説明を試みましたので、そちらもご覧下さい。(上級編“マルコフ汎関数モデル:ニュメレールと同値マルチンゲール測度 ”) 

 

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