上級編 2. オプション評価法とArbitrage Pricing Theory

2.1 基礎編 「オプション」 のレビュー

基礎編において、どのようなオプションでも、「価格はPay-Offキャッシュフローに、その発生確率を掛けて期待値を計算し、それを現在価値に換算すれば求まる」という説明をしました(基礎編>オプション>期待値の計算)。 基礎編から少し書き替えましたが、式で表すと下記のようになります。 

\[ オプション価格 = \sum_{\Omega }Payoff(\omega )\times Probability(\omega )\times DiscountFactor(r(t,\omega ))dω \]

すなわち、将来発生しうる対象資産価格の確率過程のすべての経路 Ω を考えます。次に Ω に含まれる各経路 ω で、Payoff(ω) をチェックし、どのタイミングで行使されるか、あるいは一切行使されないかを決めます。行使される場合は、Payoffキャッシュフローに、その発生確率と、行使時の Discount Factor をかけて、現在価値に換算します。行使されなければゼロになります。それらを合計したもの、すなわち期待値の現在価値がオプション価格になります。 

Pay-off(ω) は契約で内容が決まり、DiscountFactor(r(t,ω)) はイールドカーブから導出できます。従って、残りの未知数 Probability(ω)、すなわち対象資産の確率分布さえ特定できれば、どのようなオプションの価格も求まりそうです。 

仮に、Probability(ω) が判ったとすれば、価格を計算する最もシンプルな方法は、モンテカルロシミュレーションです。特定された確率分布になるような乱数をコンピュータで発生させ、それを使って対象資産の価格をシミュレートし、それぞれの価格に対応する Payoff と Discount Factor を使って、上記の Σ の計算を行います。計算時間を気にしなくていいのであれば、この方法で、どんな複雑なエキゾチックオプションでも価格計算が出来ます。実際には、計算時間が長くなりすぎると、実務では使えません。そこで、オプションの価格計算の為に、解析解を使った価格公式を導出したり、モンテカルロシミュレーションより早い数値解導出のテクニックを使ったりします。具体的には、2項Tree や 3項Tree を使う方法、数値積分や有限差分法などのテクニックが研究され、開発されてきました。金融工学の難解な部分は、これらの価格計算を出来るだけ早く行う為の数学的テクニックの部分が殆どだと思います。 

今、「仮に、Probability(ω) が判ったとすれば」 という前提で、オプションの価格計算方法は期待値計算をすればいいと言いましたが、実はその Probabilityを特定するのが最大の難関でした。過去形で表現しましたが、現在でもそうです。 

オプションの価格理論の世界では、一般的に、Probability(ω) について、直接確率分布を推定する訳ではありません。そうではなく、まず対象資産の微小時間における確率変動の様子(確率過程)をモデル化し、その過程を辿った結果生じる対象資産の確率分布を求めます。Black-Scholes以降、Quants Financeの世界で発表されてきたオプションモデルの大半は、対象資産となる金融商品の価格やレートを確率変数として、それが微小時間の間にどう変化し、拡散していくか、すなわち“確率過程”をモデル化したものです。(但し、クレジットデリバティブズのように、確率変数がジャンプするようなものは、別の形になります。) 

従って、オプションモデルは一般的に、下記のような式で表現できます。 

\[ d\boldsymbol X =\boldsymbol \mu (t,\boldsymbol X,,,)dt + \boldsymbol \sigma (t,\boldsymbol X,,,)d\bf W \]

\( \boldsymbol{X、\mu 、\sigma 、W} \) を太字で表記しているのはベクトルあるいは行列を意味し、マルチファクターモデルもカバーする為です。第1項はドリフト項と呼ばれ、微小時間における確率変数の平均的な変動を表します。第2項は、拡散項と呼ばれ、不確定な変動部分を表します。 \( \bf dW \) はウィーナー過程で、ブラウン運動の微小時間における変化を表しています。それぞれの係数\( \boldsymbol \mu (t,\boldsymbol X,,,) \ と\ \boldsymbol \sigma (t,\boldsymbol X,,,) \) は、大半のモデルでDeterministicな関数と仮定されていますが、確率的な変動をする確率変数と仮定するモデルもあります。 

ちなみに、Black-Scholesモデルは、\( \boldsymbol \mu (t,\boldsymbol X,,,) =\mu X,\ \ \boldsymbol \sigma (t,\boldsymbol X,,,) =\sigma X \) と置き、μ、σ とも定数と仮定しています。そうすると、上記式は下記のようになります。 

\[ dX = \mu X dt + \sigma X dW \]

確率変数Xは、ここではオプションの対象資産である株式の価格です。この式は、株価 X が、定数 \( \mu \) の割合でドリフトし、\( \sigma^2 \) の割合で拡散していく、幾何ブラウン運動する事を意味しています。幾何ブラウン運動する確率変数は、時間の経過とともに拡散していき、一定期間後の分布は、対数正規分布となります。その分布関数は、平均と分散の2つのパラメータで一意に特定でき、それぞれ \( \mu t - 0.5 \sigma^2 t,\ \ \sigma^2 t \) となります。すなわち、この2つのパラメータが特定できれば、X の確率分布を特定した事になり、従ってオプション価格が求まるはずです。 

さて、かつては(Black-Scholes以前は)、この2つのパラメータの内、平均をどう決めるかが大きな課題でした。パラメータの内、分散については Historical Data などを参考に、ある程度客観的に設定できそうです。しかし、平均の導出に使われる \( \mu \) は、CAPM の考え方から、通常リスクプレミアムを含んだ値を考えます。しかし、CAPMでのリスクプレミアムは、投資家毎に異なっており、客観的に特定するのが極めて困難です。そうすると、上記の期待値計算において、投資家毎に想定する確率分布が異なり、従ってオプション価格が客観的に一意に決まりません。 

ところが、Black-Scholes は、その \( \mu \) がどんな値になるかを考慮する事無く、ヨーロピアンオプションの価格公式を導出しました。Black-Scholes偏微分方程式を解いて導出された価格公式は、\( \mu \) が抜け落ち、リスクフリー金利 r に入れ替わっています。結果的にその価格公式は、ドリフト係数をリスクフリー金利 r と見做して確率分布を求め、それを使ってPayoff の期待値計算をするのと、全く同じ数式になりました。その理屈付けが画期的で、以後金融オプションの価格理論が大きく発展していくきっかけとなりました。(基礎編>オプション>ドリフト項の係数と拡散項の係数の特定 ) 

\( \mu \) にリスクフリー金利を使う考え方、すなわち確率過程のドリフト係数をリスクフリー金利と一致させて確率分布を求め、それを使った期待値計算の方法は、リスク中立測度評価法、あるいは同値マルチンゲール測度評価法などと呼ばれています。なぜその方法でいいのかについては、 Stephan Ross や Harrison-KrepsHarrison-Pliska の論文などが、Black-Scholes の考え方をベースに、それを一般化して理論的根拠を提示しています。オプション価格理論のスタートラインかつ基本原理になっているので、資産価格付けの基本定理 (Fundamental Theory of Asset Pricing) などとも呼ばれています。あるいは、アービトラージによってオプション価格が形成されるという考え方がベースになっているので、一部の文献では Arbitrage Pricing Theoryとも呼ばれています。 

 

確率分布について、なぜ実際の確率測度では無く、別の確率測度で計算していいのでしょうか? 資産価格の基本定理に関するどの文献を読んでも、極めて抽象的な数学的概念を使って定理を証明しており、非常に難解です。おそらく、金融工学をこれから学ぼうとしている方にとっては、入り口で待ち構える最大の難関かと思います。 

そこで、私なりに理解した論理だてを、抽象的な数学概念をあまり使わず、測度変換や同値マルチンゲール測度や、Arbitrage Freeといった概念が、実際の市場で起こっている現象の中で、どのような意味を持つのかという視点で解説してみたいと思います。私自身、これらの論文を、きちんと理解しているのか自信がありません。ましてや、これらの定理の数学的な証明を解説できる能力は持ち合わせていません。あくまで、これまでの実務での経験から、「この基本定理で使われている数学的概念が、実務では何を意味しているのか?」また、「実務で応用して使う際に、何を注意しなければいけないか?」という観点で説明をしたいと思います。 

 

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