基礎編 3. スワップ
3.3 弊害 つづき
3.3.3 巨額のポジションリスクを取り、身動きが取れなくなる
金融工学の最先端の知識を持ったスタッフを抱えながらも、デリバティブズで巨額のポジションを取り、身動き出来なくなって問題を起こしたケースもいくつかあります。
有名なのは、1998年に発生したLTCMショック、リーマンショック時に破綻したAIG、2012年に発生したJP MorganのLondon Whaleの事件でしょう。
<LTCMショック >
LTCM(Long Term Capital Management)は、債券の裁定取引を中心とした取引戦略を取るヘッジファンドです。 Salomon Brothersの元トレーダーが設立し、Black Scholes Modelを開発したノーベル賞学者であるMyron Scholesも加わっていた事で有名なファンドでした。このヘッジファンドは、様々な金融商品のロングポジションとショートポジションを組み合わせた裁定取引を、ファンドの設定額の何十倍もの額で行っていました。Off-Balance Sheet取引であるデリバティブズがそれを可能にしました。
LTCMは1997年頃までは、好パフォーマンスのヘッジファンドとして急拡大を続けてきましたが、1998年に入りパフォーマンスが悪化し、その後ロシア危機や、Risk Arbitrage(合併を発表した会社の株式で、合併比率に合わせたLong-Shortの裁定取引)の失敗で、さらにロスが拡大しました。
巨額のレバレッジをかけたデリバティブズのポジションは、取引相手方と証拠金交換契約を結んでおり、含み損が発生すると証拠金を支払う義務が発生します。デリバティブズ以外でも、レポ取引や株券貸借取引でも同様の契約があり、そこからも証拠金支払い義務が発生します。パフォーマンスの悪化から98年の8月までに証拠金の支払い能力がほぼ枯渇した所へさらなるショックが加わり、新たに巨額の証拠金支払い義務が発生しました。LTCMは、その為に裁定ポジションをクローズして現金化する必要に迫られました。ポジションが巨額であった為、ポジションをクローズする動きで、市場がさらに損益を悪化させる方向に動き、そこでまた新たな証拠金支払い義務が発生するという負の連鎖が発生しました。
さらに、当時、LTCMと同じ様な裁定取引戦略を取っていたヘッジファンドや、証券会社のProprietary Trading Deskのポジションでも損失が発生し、ロスカットの為のポジションクローズの動きが市場全体に広がりました。負の連鎖がさらに負の連鎖を生み、市場は数カ月間、大混乱に陥りました。
<AIGの破綻>
AIGは保険会社で、その運用の一環で巨額のクレジットデリバティブズのポジション(クレジットリスクを取る側)を持っていました。リーマンショック時、クレジット市場も暴落をしており、特にリーマンが破綻した週末の翌営業日はクレジットデリバティブズ市場全体で、極端にクレジットスプレッドが拡大しました。それに伴い、AIGは巨額の証拠金支払い義務が発生しました。一説によると、数兆円規模だったそうです。
証拠金支払い義務は、Margin Call(証拠金の請求)が行われてから1~2営業日以内に支払わなければなりませんが、数兆円の資金をそんな短期間で調達できる訳がありません。しかも、当時はリーマンの破綻により、資金市場では流動性が枯渇しており、どの金融機関も資金調達に苦しんでいました。AIGが証拠金支払い義務を履行できなければ、その資金をあてにしていた証券会社も一挙に資金繰りが悪化し、連鎖倒産の恐怖が市場を支配していました。
LTCMのケースも、AIGのケースも、最終的にFRBが介入して流動性を供給し、何とか連鎖倒産のリスクを回避しましたが、LTCMとAIGは、破綻を免れる事は出来ませんでした。
<London Whale>
J.P. Morganで発生したLondon Whale事件も、巨額のクレジットデリバティブズ取引により、身動きが取れなくなり、損失が拡大したケースです。
J.P. Morganでは、貸金より預金の額の方が大きかったので、それをリスクのある資産で運用する為、Chief Investment Office(CIO)と呼ばれる専門部署がありました。余資運用なので、基本的には現物の商品、すなわちローンや債券への投資に向けられていましたが、そのクレジットリスクをヘッジする目的でクレジットデリバティブズのトレーディングも行っていました。そのポジションはSynthetic Credit Portfolioと呼ばれ、数人のトレーダーがそのポジション管理を任されていました。
2012年の初頭に、CIOでリスク資産を落とす方針が出され、Synthetic Credit Portfolioでも、一定のポジションをクローズする方針が出されました。ところが、巨大なポジションをクローズすれば市場が逆方向に向かい、損失が拡大するのが市場の常です。なぜか、この部署のトレーダーは、会社の方針に反して、自分たちのポジションから損失を発生させないよう、同じ方向のポジションを積み上げ、買い支えていったようです。その額も、ロンドンのクジラと呼ばれる程、巨大でした。
会社の方針に反した取引が、しかも非常に巨額のポジションテークが、1カ月以上の期間に渡って続ける事が出来たのは不思議です。逆に、会社の外部の人間、すなわちヘッジファンドや他社のトレーダーには知れ渡っていたようです。外部の人間は、いつか、そのポジションが破綻すると見込んで、J.P. Morganの逆のポジションを仕込んでいたようです。
その年の4月に、それがメディアの知れる所となり、報道されました。
最終的に、J.P. Morganは、担当トレーダーを部署からはずし、ポジションをクローズしに行きましたが、その過程で60億ドル以上の損失を被りました。巨大なポジションは、積み上げていく段階では、利益が出やすいものの、一挙にクローズしに行くと巨額の損失が発生する典型例です。
詳細は、J.P. Morgan自身が行った調査報告書があるので、URLを添付します。(CIO Task Force Report
開かない場合は、この簡略版で)
3.3.4 複雑な商品を取引・管理する能力の不足
大きな事件として報道されていないものの、デリバティブズの管理体制が脆弱であったため、問題が発生した事例を、多数目撃してきました。金融商品に係わる不正は、デリバティブズ商品に限りませんが、現物の債券や株に比べて、デリバティブズでは、その商品性から、なかなか不正を発見しにくい所があります。
デリバティブズはOTCでの相対取引が中心で、個別の取引条件が多岐で複雑、時価評価にモデルを使うなど、リスク管理、契約書管理、財務会計、事務など管理部門すべてにおいて、相当専門的な知識を必要とします。トレーダーをはじめとするフロント部門、リスク管理部門やMTMを行う会計部門、契約書管理を行う法務部門、決済を行う事務部門、ITインフラを支えるテクノロジー部門、これらすべてにおいて、そういった商品知識や実務知識を持つスタッフを確保し教育していくのは簡単ではありません。十分な能力を持ったスタッフを揃える事が出来なければ、フロント部門の暴走や不正をコントロールできなかったり、リスク評価や時価評価を間違えたりするリスクが高くなります。